私という機械

自分が分からない。

社会人になると、人は誰しも悩みを抱える。会社での人間関係、求められる仕事のスキルを持っていないこと、ノルマ未達。
私の抱える悩みは、また違う部類のものだ。

私の悩みは、会社の同期との関係において意識せざるをえない。

自分には感情がない。例えば、身近な人が何かを達成したとしても、自分では達成した喜びを何も感じない。普通の人間なら、喜びを共有する表現をする筈である。その反面、私が何かを達成したときに、他人からの祝福を求める。また、挫折をしたとき、異常なまでのコンプレックスを抱く。挫折をしたとき、自分は愚かなまでに劣等感を他人に露にする。

このような自分は、他人と境界が隔てられていると感ずることが多々ある。他人とのコミュニケーションにおいて、私が避けられる傾向にある。

自分がいつからこういう人間になったのか思い出せぬ。大学時代に、このような傾向を強めたのかもしれない。射撃部での個人主義、出世手段としての学問の追求が、大きな原因であったのかもしれない。あるいは、生まれつきの負の天性なのかもしれない。

私を殺したい。そのためには必然的に自己否定せざるをえない。そして、他者の感情表現と言う技術を体得すること。これが当面の私の義務である。私の転向を願って